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自由、自由というけれど・・・




結局、
自由っていうのは
どこまでの範囲が認められて
どこからの範囲がダメなのか、
正直なところ、よく分からないと思うんだ。


具体的に
【自由の領域】とやらを判別できる人っているんでしょうかね?




今回は微妙に【まじめ回】かもしれません。


とはいえ、
ひょっとして一部の人は
気分を害する恐れがあるので、
少しでも気分が悪くなったらブラウザバック推奨です。





というわけで、
今回は最近、
何かと聞く機会の多かった単語、
【自由】ってやつについて書いてみようかと…。



ほら、
年明けて以来、
【表現の自由】なんて言葉が
世界中を駆け巡ってたでしょ?



例えば、
ソニーの子会社(?)の制作した
北朝鮮の指導者を
暗殺のターゲットとして登場させた映画に関してとか…。



フランスのパリで
イスラム過激派による新聞社の襲撃テロと、
その後のムハンマドの風刺画だのなんだのとか。



年明けだけでも
色々ありましたが
その前からも
国内外で【言論・表現】の【自由】が
幾度となく話題に挙がっていましたね。



で、
個人的に
その言論や表現の自由ってのが
取り上げられるたびに、
何だかよく分からなくなるのですよ…。


自由ってのは
一体どこまで許されるの?って…








例えば、
先にも挙げた、
北朝鮮に関しての映画の件。


あれは表現の自由の範囲なの?


なんか、
実名で登場させてたとかって聞いたけど、
それは肖像権だとか
パブリシティー権(?)を侵害してるような気がするんだけど、
その辺は問題ないの?



映画の内容を知らないから
何とも言えないけれど、
もし事実と異なることを大げさに取り扱ってるようなシーンがあれば
名誉棄損とか、その辺も問題になるだろうし…。



いや、
製作会社が
本人に許可とって
収益の一部でも渡してるなら問題ないだろうけれど
先方の対応を見ると、それはなさそうだし。



さすがに
ハッキングだのなんだのとか、
実力行使で報復するのはいかがなものかと思うけれど、
さすがにあれを【表現の自由】というのは、
いささか一方的で乱暴だと思うわけですよ…。



あれが【表現の自由】なら
陰口やら何やらの一部のいじめ行為は
【表現の自由】が適用できてしまうような…?










んで、
フランスの新聞社が
例のテロ後に
イスラム教の開祖たるムハンマドを
【表現の自由】の名のもとに
小ばかにするような風刺画を掲載したじゃないですか。



あれに関しても
賛否両論あるだろうけれど、
個人的にはどうかと思うんですよ…。



まぁ、
確実にいえるのは
【やり方】としては、完全に失敗じゃないかと…。



全ての宗教から中立的で
個人における宗教的思想が一切ないのであれば
【疑問】を呈する形で、
それぞれの宗教が抱える問題点や闇を取り上げることもできるでしょうが、
特定の宗教圏で、
特定の宗教を攻撃するような手法は避けるべきではないかと…。



要するにさ、
【ムハンマド】をバカにするような風刺画を
キリスト教圏の人間が掲載するべきではなかった…。



というのも、
ムハンマドってのは
【イスラム過激派】ではない、
【平和を望むイスラム教徒】にも、特別な存在であるわけで…。



それをバカにするっていうのは、
あのテロ後、
真っ先に味方につけるべき、
平和を望むイスラム教徒をも侮蔑するに等しい行為なのだから…。



それは
無宗教を自認する、
ワタクシのような日本人よりも
ずっと文化的・思想的に宗教に繋がりのある、
欧米人の方が分かると思うんだけど…。



結果的に
あのような風刺画を掲載したことは
イスラム教徒を排斥しようとする勢力を増大させる切っ掛けになり、
欧州においての、
宗教や民族間のいらない軋轢を
一気に表層化させる原因の一端になってしまった部分も否定できない。



ただでさえ、
キリスト教とイスラム教は
歴史的にも宗教的にも、
何かと対立をしてきた背景があるわけだし…。



何より
イスラム教には
異教徒との戦いを【聖戦】として美化する思想を持つ者がいて、
今回の件は
キリスト教圏の人間が
イスラム教の教祖をバカにする、
端的に見るとそう取れなくもない事態にもなってるわけで…。



要するに
【ジハード】ってやつの
格好の口実になりかねないんだよね…



分かりやすい意味での宗教間対立。
ある意味で、そう見れなくもないんだから…。



実際、
その新聞社に
そういう思想を持つ者がいるかどうかは問題じゃなく、
取り手がどう受け取るかの問題。



正攻法で行くなら
本来、普通のイスラム教徒の人も
上手く味方につけて、
【イスラム過激派】を叩くべきなんだろうけれど、
何を思ったのか、
イスラム教徒全体をバカにする手法を取ってしまった。



まぁ、
表現の自由云々を抜きにしても
結果的にとしか言えないけれど、
あまり賢いやり方だったとは、思えないなぁと…。



こと、この件に関しては
国際的にも【無信仰】と言われる、
多くの日本人には宗教や信仰の話題ってよく分からないけれど、
誰だって
【心の支え】にしているものや
【大事なもの】がバカにされれば、腹も立つってことだね。










で、
話は戻りますが、
【自由】という観点から見ても
何だか腑に落ちないのですよ…。



というのも、
一般的に【政教分離】されている【法治国家】において
表現や言論の自由とともに、
【信仰の自由】ってのも、大体認められてると思うんだよね。



でも、
今回のは
明らかに特定の宗教をバカにするやり方だよね?



これって、
【信仰の自由】ってやつに、抵触するんじゃないかなって…。



特定の宗教を
公的影響力の強いメディアが
それを行うっていうのは、
さすがに行き過ぎじゃないかと思うわけですよ。



個人レベルで
適当に好き勝手いうならまだしも、
公的に強い影響力・発信力をもつメディアが
仮にも【世界三大宗教】の一柱を担う宗教相手にそれをするってのは、ね…。



どこぞの
教祖自身がテロ活動を指示してた、
明らかにダーティーなカルト宗教ならいざ知らず、
大多数の信者が
国際社会の中で【平和】や【共栄】を望む宗教相手に
それはどうよ、と思うわけです。



要するに、
表現や言論の自由が
【信仰の自由】の領域を侵しているという面があるんじゃないかなって。


結局、
どんな【自由】であれ、
行き過ぎれば、
それ以外の【自由】を侵してしまうってことかな?








表現にしても言論にしても、
弾圧しすぎれば息苦しいし、
認めすぎれば、手さえ出さなければなんでもありになってしまう。



それはやっぱり、
ちょっとおかしいなって思うのです。



言葉にせよ表現にせよ、
時としてそれは人の命を脅かすものである以上、
何でもありってのは受け入れられない。



だからこそ、
どんな自由にも
【責任】と【制約】ってものがあってしかるべきで、
それがなければ無法状態やカオス状態に他ならないわけで…。




長々と書いてきたけど、
結局言いたいことは、

自由だとか正義だとか運命だとか

その手の言葉はむやみやたらに使うもんじゃないってことですよ



そういう言葉が
大義名分として使われなかった例がないんだし。



そういう言葉を傘に、
他人を平然と傷付けるってのはおかしな話でしょ?
ましてや、何の関係もない人を巻き込んでってのは、さすがに疑問も感じるわけで…。



自らの自由は
他人の自由を奪う可能性があること。


自らの正義は
他人の正義を否定しうるものであること。


自らの運命は
他人の運命を狂わせてしまうこともあること。



その点だけは、
最低限、留意して口にしなきゃいけない言葉じゃないかなと…。



不思議なことに
この手の言葉は
安易に口にすればするほど、中身が無くなっちゃうんだよね…。









なんにせよ、
自由ってのは難しい問題ですね。


あっちを立てるとこっちが立たず、
こっちを立てるとあちらが立たない。


自由自由というけれど、
真の意味での【自由】なんて、
所詮、空想上の概念なのかもしれませんね…




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Author:・リヴ・
現在、名古屋在住の
『まったり生きる』事に憧れる若造。


ゲームしたり、本読んだり、
お散歩したり、サイクリングしたり、
時々、短い『お話』を書いてみたり…。
結構色々やってます。

広く浅くをモットーに清く正しく(?)生活中!

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